親愛の表現法



昨日仲良しTさんからの素敵な贈り物をもらって考えました。
私が好む“思い遣り”って彼女がしてくれるような何気ないやり方だ、と。
相手に負担をかけないくらいの何気なさの中に親愛の情を込める。
これが一番心にグッとくるんですよー。
当然、私も同じやり方をしちゃうんですけどね。


親密さの証しとして分かり易いことに自分の弱さを曝け出すというのがあります。
確かに普段は見せない部分を見せられる相手はよっぽどの存在です。
自分のことを考えてもそうですから。
自分の思考範囲内で解決できないことは信頼できる仲良しさんに相談しちゃいますもん。
そして彼等、彼女等の視点からの意見で目が覚めることが多々あります。


例えば1つの悩みを3〜4人の仲良しさんに相談するとします。
当然、彼等の意見はバラバラなのですが、
面白いことに1〜2つ必ず共通するものがあるんです。
それは彼等が知っている私の“生き方のクセ”に合わせて応えた意見じゃなくて
全く異なる視点で見た結果として出てきた意見なので、かなり説得力があります。
それに背中を押されてそれまでの自分の言動と違うことが出来るわけですよ。
ほんと、みんなに救われていると思います。


そんな友情関係を育んでいるので、私も何か相談されると「私はこう思う」という
一つの意見として自分の感想や考えを伝えるわけです。
その後どんな言動で解決するのかは相談者が決めることを前提として。
どんなことでもそうですが、最終的に決断を下すのは自分なんですよ。
そして自分が下した決断の責任は全部自分にあるわけです。
それが間違っていたと気付いた時点で、
次に何をしたらその間違いを正せるのか考えればいいだけなんです。


自分が望む答えだけを言ってくれる友達を周りに配置している人というのは
結局はどんな問題が起こっても最初から解決する意思がまったくないと思います。
突き詰めれば、苦悩の中で堂々巡りするのが好きな人でしょう。
そんな可哀想な状況に陥る自分が可愛いし、
そんな可哀想な自分をアピールすることが好みの親愛の表現法なんだと思います。
だって他者に見せる自分というのは一番好きな自分の姿なんですから。


私が一番好きな自分の姿はヘラヘラ笑っているおバカな姿です(笑)。
どんなに深い悩みを抱えていても、
最後には「私、バカだよね〜」と笑える自分が大好きなんですよ。
ただ私が信頼している仲良しさん達は全員、バカ面の下にある私の姿も知ってくれてます。
そんな洞察力のない私はいつも「すごいな〜」と驚いちゃうんですがね(苦笑)。
みんなに生かしてもらっていると日々感謝してますよ☆

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