覚悟の必要なアート

金曜日に頼まれた4500ワードの翻訳を昨夜無事納品して
今朝はゆっくりダラダラしながら、脳みそを甘やかしております♪

ここ数日、税金投入して企画実現した愛知県のアート展の話題で賑わっています。
これを見て思い出したのがこれ。

サーチコレクション『Sensation』

1997年冬にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでこのコレクション展示中に
たまたまロンドンに3週間滞在していたのですが
友人の友人から「あと数日で終わるから一緒に行こう」と誘われて行ったのです。
ちなみにロイヤル・アカデミー・オブ・アーツは王室や政府の援助一切なしですよ。

予備知識など全くない状態で見た衝撃的な作品に鳥肌が立ちましたよ。
美しさを愛でるというよりも、人間の闇の部分を目撃する展示会という感じで
それまでアートに対してお花畑な考え方だった自分に気付きました。
世の中の異なる側面に光を当てるアートもあるんだな、と。

この「Sensation」はその刺激の強さゆえに公開できない国続出でしたが
ロンドンでは中止になることもなく、開催期間をきっちりと全うしました。
開催する側の「これはアートだ」という確固たる自信と確信があってこそ
それを鑑賞して受け取る側も「アート」として見られたのでしょう。

翻って、愛知でのアート展。
結局は脅迫を理由に中止になったようですが
そもそも企画段階でそれ相当の反応があると覚悟しなかったのでしょうか?
さらに助成を決める段階で展示作品をしっかりチェックしたのでしょうか?

アートとプロパガンダの親和性が高いからこそ(ナチスが証明したよね?)
主催者側は誤解を受けないようにしっかりと説明すべきであり
プロパガンダではない理由、アートである理由を明確にすべきだったと思います。

「展示作品を見て考えてほしい」という趣旨であればなおさら
あらゆる負の反応を考えて、それに対する対策をしっかり行っていれば
展示されているのが本当にアート作品である限りは脅迫などに屈しないはずです。

20代からずっと音楽業界で仕事をしてきたせいもあって
人間の闇はアートの題材になりやすいことをよく知っています。
「陰」の力は「陽」よりも格段に強烈だし
そこに惹かれて感性を刺激されるアーティストは本当に多いのです。

確かに、余計な説明で受け手の意識を制限してはいけないとは思いますが
感性を刺激するものであっても説明が必要なものというのもあるはずです。

ただ、お役所の既得権者のテキトーな仕事がそもそもの原因だとしたら
アートだ、プロパガンダだ、覚悟だ…という問題じゃないような気もします。
世の中には性根の腐った人も確実にいるのでねぇ……やれやれ。

私は美しいものが好きだし、昔から陰にあまり魅力を感じない方ですが
正直な話、愛知の「少女像」よりも、ロンドンの「ライダイハン像」の方が
アート作品らしい美しさがあると思いました。

さて、午後からは仕事しま〜す☀️




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