自由の色と法の哲学

元ちとせ「ワダツミの木」  MUSIC VIDEO(FULL)

無性にこの曲↑が聞きたくなったので、今日のBGMはこれ♪
20年前の曲だったなんて……光陰矢の如しです🏹

さて、私と同郷の菅さんが首相として初渡米&初首脳会談。
あとで共同声明全文を読むつもりで既にPDFでDL完了(ここから)。
これからの日米関係と東アジア情勢がどうなるのか、興味津々です。

テレビを廃棄してからさらに強くマスメディアの「報道しない自由」や
「思い込む自由」や「偏る自由」などを感じるようになって
意識のバランスを取るためにさまざまな意見を見聞きしています。

数日前にある政治系YouTube番組で聞いた「自由の色」という発想。
これには思い切り納得しました。

私たちが慣れ親しんでいる西洋的価値観に基づくボトムアップな自由も
独裁国家の完全トップダウンの自由も、基本的には同じ自由という視点で
“国を表す色で色分けできるんじゃない?”というのが自由の色です。
分かりやすいのは「赤の自由」=中華人民共和国ですかね。

それにしても、「自由」という言葉の“自由さ”ここに極まれりです。
基本的に「自由」自体には良いも悪いもなくて
それをカスタマイズする人間が良し悪しを決めるわけですよ。
だから、どの自由もそれを実行する人々にとっては“良きもの”ということ。

ヘーゲル『法の哲学』の超コンパクト版の定義が驚くほど分かり易いのですが
これだって己の自由を考えられる自由がある国じゃなきゃ成立しないわけですわ。
トップダウン自由の「自由」は支配層の既得権益ってことよね。。。

一人ひとりが自分の人生に有利な自由を考えて実行できるボトムアップ自由と
支配者が己の保身に有利な自由を考えて実行できるトップダウン自由は
その対立が互いに相容れない宗教戦争ちっくだなぁと思います。

そして、大国が20世紀と本質的に変わらない原因によって
20世紀とは異なる様式の紛争で世界を巻き込みながら対立を深めている昨今。
この対立状態に「利益」の匂いを嗅ぎつけて近寄ってくる国や人もあるわけで
そういう状況を頭の片隅に置きつつ生活しなきゃいけないな、と。

そうそう、ヘーゲルさんが「国家」で言っている
「一度世界史をリードした国家は、もう二度とそうすることができない」は
GAFAにも当てはまるなぁと思いました。

彼らが自らの衰退をどのように受け止めて事業を維持していくのかが
今後、大企業が衰退し始めたときの見本になりそうです。

いや、ほんと、これまでの考え方を一気に変えるのは無理だけど
少しずつThink out of the boxを実行していかないと。
五十路おばちゃん、当分ボケてる暇はなさそうです!😁



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