マルチタスキング


数日前に編集者くん達と話をしていて
「マルチタスク機能」の有り無しが話題に上がりました。
私のマルチタスキングのイメージは
形や大きさの違う物体を器用にジャグリングしているというもの。
つまり箱だったり、ピンだったり、ボールだったりを一度に放り投げてる感じ。

それを踏まえて自分の仕事を考えてみたら
あたしゃ基本はシングルタスキングだな、マルチじゃないな、と。
だって私が扱う仕事(リエゾン@国際部と翻訳・通訳)は
基本部分(翻訳力を使う)が同じで、処理過程に若干の違いがあるだけ。
複数の仕事を抱えていても、ひとつの仕事の幾つかの作業をやってから
次の仕事の幾つかの作業をやって…というふうに、同時進行じゃないし。

確かにフリーランスとして働いていると、商品制作、営業、事務、経理と
大きな会社では異なる能力の人が分担して行っている作業を
自分ひとりでやらないといけないってのはありますが
それだって日々全部の仕事をまんべんなくしているわけじゃないし……。

そんなこんなで「マルチタスキングの定義はなに?」と
珍しく仕事関連のネタを考えていたときに知ったのがこの本。

『クレイジー・ライク・アメリカ』(Ethan Watters著)

アマゾンでポチッとなして、本が到着したその晩に
日本に関する第4章を一気に読みました。

倫理的な憤慨はさておき、製薬会社のマーケティング戦略はスゴい!
商売というのは作った商品を多くの人に使ってもらって
利益を上げるのが最大の目的だと、改めて思い知りましたわ。
「人の役に立ちたい」なんて個人の感情とは次元が違うわけです。
つーか、「商売」そのものに倫理観を求めること自体が間違いかも。

もちろん「商売」を動かしているのは人間だし
そこにはある程度の倫理観が確実にあるとは思うのですが
「利益を得る」「利益を増やす」だけに特化して考えたとき
もしくは「赤字を減らす」「業績を上げる」というとき
特権階級の人たち(=経営陣)は下々の苦痛を強いるわけですよ。
「心苦しいが仕方ない」という使い古された言い訳と共に。
これは国家規模でも同じことのように思えます。

生活のために仕事をすることが当たり前の世の中で
経済が低空飛行を続けている現在ではひとりの仕事負担が増えてますよね?
更に、そんな状況に堪え兼ねて身体や精神を患う人が増えているため
福祉面での負担も増えているわけです。
なんだかなぁ〜な世の中ですねぇ、まったく。。。

とは言え、基本的には「出来る人が出来ない人を助ければいい」と
常々考えているので、出来ない人がどんなに自分本位であっても
こりゃあ仕方ない、やるっきゃないでしょ…と日々仕事してますわ。
どうも自分が思う以上にちゃんと仕事が出来ているようだし(笑)
商売面で考えれば、金は天下の回りものだから使えば戻ってくるでしょ、と。

チャンスを掴みさえすれば誰でも人の上に立てる時代なので
ノブレス・オブリージュ感覚のない人が経営陣にいるのも仕方なし。
私なんてone of 下々だし、人の上に立ちたいとも思わないので
「やれやれだね〜」(クレヨンしんちゃん風)と静観するだけ(笑)。
そして出来る人たちが暴いてくれる社会の闇の部分をチラッと見聞きして
「おやまぁ、そうだったの」と思っているのが気楽ですわん♪

さて、仕事しよーっと!(^0^)



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