翻訳三者三様

昨日は翻訳仲間3人で食事会でした。
久々の上京(笑)でしたが、午後から歯医者に行く必要があったため
レストラン到着時点でまだ麻酔が効いていて変な感じでした。

同じ仕事を生業にしていても、性格が違えば考え方も違うのは当然です。
だからこそ、一緒に話をしていると面白い発見があるわけです。

彼ら二人に「自分の翻訳が読まれるか否かを考える」と言われて
「へ〜、そうなんだ!」と思った次第です。

実は私、そんなことは一切考えていない…というか
「好きな人や必要な人が読むんだろな」程度の認識しかないのです。
既に翻訳を終えた訳文にほとんど愛着がないのもそのせいでしょう。
事実、自分が訳した文章をほぼほぼ覚えていない(笑)。

また、編集者の編集も問題なく受け入れられる理由もこれだと思います。
編集者が介在する場合、私の翻訳はあくまで「素材」または「半加工品」。
最終的に編集者が成形して、お皿に盛って、お客さんに出すわけです。

もちろん、翻訳している最中は真剣に仕事するわけだし
翻訳という仕事が大好きなのですが
最適な言葉を見つけたり、情報を検索したり、意味を理解したりという
翻訳とそれに伴う作業が一番好きなのだと思います。

文芸翻訳でも、産業翻訳でも、読む人が確実にいるのが大前提です。
それが誰であっても、読む人がいなければそもそも翻訳しないわけです。
そんなふうに考えているので、彼ら二人の意見は興味深いものでした。

そこで思い出したのが、先週資料として見せられたとある企業の公式動画。
翻訳字幕が大変なことになっていて、動画じゃなくて字幕を見てしまう代物でした。

まず、文字数が多いので、場面によって文字の大きさが異なる。
そして、文字配置は画面の「両端に伸びた一行」と「中央二行」が混在。
さらに、句読点あり。

人の視覚は非常に敏感なので、上記の違和感を瞬時に感知します。
すると、本来視線を集めるべき画面ではなく、文字に意識が向かうわけです
字幕のプロの方はこの点を踏まえて、視線を集めずに読める字幕を作ります。

洋画の字幕を思い出すと、これがよく理解できるはずです。
映画館では字幕を読むために映画を一時停止にはできないですからね。
YouTube動画だって(プロが作れば)基本は同じです。

字幕は空気のように存在しながら
動画を邪魔せずに受け手側が必要な情報を伝えるものが基本です。

それと同様に、私にとって翻訳は主役を輝かせるための脇役的仕事なのです。
もちろん、編集者に自分の翻訳を褒められたり
翻訳会社から助かったと感謝されたら、とても嬉しいですよ。
でも、訳文の内容と読む人を意識するのは編集者や翻訳会社の役割です。

この仕事は脇役という考えを再認識させてくれた翻訳仲間二人に感謝です。
つーか、私、本当に二番手というポジション好きだわ〜(笑)。

この週末はクライアントに休むと宣言して休ませてもらっているので
明日からの仕事に備えて、昨日に引き続き今日も一生懸命ダラダラします😤

Have a wonderful Sunday!!

あ、これ、奇妙な動画なので貼り付けておきます。





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