自然な翻訳ってなに?

'Til Tuesday - Voices Carry

ここ数日間は'Til Tuesdayの「Coming Up Close」が頭の中でヘビロテ中。
パット・ベネターに触発されたのかも。
とは言え、1985年によく聞いたいた曲は上の「Voices Carry」。
久々にPV見たのですが、Aimee Mannはやっぱりカッコいい!

さて字幕プロジェクト改めCCプロジェクト、その後の訂正指示は来ず。
きっと「こいつは使えないからもういい」的に切られたのでしょう。
それはそれで仕方なし。
ただ、このプロジェクトの日本人翻訳者のグループチャットには
まだ入っているのよね…不思議です。

とっとと頭を切り替えるため、先週末は中華ラブコメ史劇を一気見♪
何も考えず、中国語の音を聞きながら、ただただストーリーに没入する。
これだけで頭の中の澱みが徐々に排出されるから不思議です。
常にあれこれ考えてしまうタチなので、考えない時間が必要ってことですね。

今週は海外の翻訳会社の短いタスクをちょこちょここなしながら
とある番組のナレーション原稿の英訳をメインで行っていました。

番組のナレーションゆえ、かなり作り込んだ「自然な日本語」です。
意識せずに聞いていると全く違和感がないのですが
英訳するために日本語を理解しようと注意深く原稿を読むと……

前後の文脈とどうつながるのか不明瞭な部分が多く
英語にするのがと〜っても大変。
言葉の意味は理解できるのですが、それを英語に訳すとなると
「あれれ、これのコンテクストはなに?」となっちゃうのです。

映像を提供してもらっていたので、それを見て前後を確認しつつ
映像でも不明な部分は推測しながら、場面に最適な英語にしました。
いや、ほんと、日本語というのは、言う側と聞く側の両方が
空気を読み合い、補足し合う言葉だと改めて実感しましたよ。

今回は日本語を理解するためにChatGPTとブレストを繰り返し
文脈を踏まえたうえで最適な意味を見つける作業をやりました。
普段、無意識に話している日本語が相当曖昧なことに驚愕しつつ
日本語を英訳する場合に説明が必要になることも改めて納得。

そして思ったのが、「自然な翻訳ってなに?」

これは英訳・和訳の両方に言えることで
もともとの性質が真逆の言語間で片方の言語に置き換える場合
伝える内容によっては直訳の方が伝わることもあるんじゃないの?と
ふと思ったんですよ。

翻訳業界では、この「自然な翻訳」に重きが置かれていて
「直訳」を良しとしない風潮が長らく続いています。
そのため、バカのひとつ覚えの如く、どんな内容でも
「自然な文章に翻訳にしろ」と指示されます。

自然な文章というのは「他言語」を意識しない人
つまりモノリンガルの人が、無意識に話したり書いたりする文章を
指すのではないでしょうか?

逆に言えば、2か国語以上読み書きできる人の場合だと
それぞれの言語で100%自然な言葉を紡ぎ出すのは難しいのでは?と
思ってしまうわけです。

言語は脳に蓄積する知識でもあるため、相互に影響するわけで
一度知ってしまった知識は記憶喪失や痴呆にでもならないかぎりは
ずっと頭の中に残り続けるじゃないですか?

そう考えると、モノリンガル的「自然な言葉」までも疑い始めてしまう私。
これ、めちゃくちゃ面白いテーマなので
あとでChatGPTとブレストしよーっと! 
こういうとき、ChatGPTはブレスト相手として最適です。
わくわく〜😄

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