暇な今だから温故知新
そう言えば…と思って小林太郎くんを初めて知った映像を探したら ありました、3年前にYouTubeにアップされていました。 その夜、偶然見た深夜番組で 高校生のバンド選手権みたいな企画をやっていて そこに映し出されたのが下の映像でした。 小林太郎/安田さん(ライブver) 「このボーカルの子、ほぼ完成している」と衝撃を受けたのを覚えています。 「あ、ベースの子、5弦だ」とか、音楽雑誌の通訳らしい感想も持ちつつ 「これ、高校生ってマジか?」と見入ってしまいました。 音楽雑誌、特に個々の楽器に特化した専門誌の通訳をしていると 取材前の予習で取材対象の担当楽器を集中的に聴く「耳」が育てられます。 なので、今でもイヤホンで音楽を聞いていると 移動中でもその日の気分で一番大きく聞こえる音が違ったりします。 まあ、私の場合はリズム体が大きく聞こえることが多いのですがね。 そこでふと思ったのが 「若い頃から突出した才能を持っているって辛いだろうな」 と、いうこと。 私のような凡人は経験値で徐々に能力を向上させるので 若い頃はウンコのような存在でも、齢を重ねるとそこそこ使い物になります。 でも、最初から同年代と比較できないほどの高度な能力を持っていると その後の人生がえっらい長そうだな、と。 文字通り、the long and winding roadですよ。 私だって20代半ばまでは、誰かが同年代の同業者を 「あいつはすごい」と言うと、少しくらいはジェラシーを感じました。 しかし、さまざまな海外アーティストの取材通訳を重ねるうちに 「なんだ、他人と比べなくていいのね」と悟り、気がラクになりました。 っていうか、自分と他者を比較したがるのは、自分自身ではなくて 自分を少しだけ知る“赤の他人”のことが多いと気付いたのです。 つまり、優の人と劣のこちらを比較して貶めることで 比較発言をしている本人がこっちにマウントしたいだけってこと。 これ、明らかに、余計なお世話です。 だから、見事にジェラシー消滅&他者との比較戦線から離脱(笑)。 とはいえ、私みたいな平々凡々な存在ですら 私を嫌う人のそういう無意味な比較系マウントに晒されるので 能力のある人ならもっと大変なのが容易に想像できます。 でもね、そういうマウントや悪態にも耐えうる胆力があるからこそ 突出した能力を授けられたのだと、私は思いま...