イタコ翻訳
貧乏暇なしで、毎日ガシガシ翻訳を続けています。 今の私にお休みなど贅沢以外の何物でもなし! 分厚い書籍の翻訳が終わるまで、こんな状態のままですわ😅 以前も書きましたが、書籍はギャラが入ってくるのがずーっと先ゆえ 当然生活費を稼ぐ仕事をしつつ、並行して翻訳するわけです。 いつギャラが入るのか分からない点でほぼ趣味の翻訳です(笑)。 日曜日は他の仕事を入れずに書籍に集中することにしているのですが 前の週の他の仕事の進み具合で、思ったほど出来ないことも多いです。 昨日も午前中に他の翻訳を仕上げて、サイトにアップする作業があって 書籍に取り掛かれたのが夕方過ぎ。 翻訳を進める前に、今やっている章の訳し終えた部分を確認しようと 読み返しながら、昔「イタコ通訳」と呼ばれていたことを思い出しました。 質問者や話者が言葉に詰まっても、何故か彼らの意図を理解して その人たちが言いたいことを先回りして通訳することがけっこうあったのです。 話者はかなり驚いて「どうして?」と私に聞くのですが、理由はわからず。 その上、自分ではそんな大それたことをした意識も皆無(笑)。 「いや、フツーに通訳しているだけだから」といつも言ってました。 そして、今回、自分が書いた翻訳文を読み返してみて 内容は記憶しているのに、文章は記憶していないことに気付きました。 まるで他の人が書いた文章を読む感覚なのです。 これ、雑誌のインタビュー記事や wikiHow の翻訳記事でもよくあって 最終的な文章は校正者がキレイに直してくれたものだと信じ込んでいます。 翻訳を終えた訳文に対しては常に「まだまだダメだ!」としか思えず 彼らの力なくして人様に読んでもらえる文章になるはずがない、と。 さらに、一度翻訳を完了してしまうと、記憶の奥の倉庫に移動させて サッパリと忘れてしまうので、翻訳原稿と最終稿を比較しない限りは 「校正者さん、ありがとう!😘」で終わってしまうわけですよ。 つまり、この部分がイタコたるもう一つの所以で 自分が書いた訳文でありながら、イタコの口寄せと同じで 表面的な記憶からは書いた直後にスッカリ消えてしまうんですよー。 きっと記憶力のキャパが小さいせいだとは思うのですが(笑)。 短時間で翻訳原稿を完成させて納品する仕事と違...