投稿

7月, 2025の投稿を表示しています

読むたびに泣いてしまうBL作品

最近、時間的な余裕が少しできたとき 動き始める前に何故か読んでしまうBL作品がこれ。 九尾の狐と〇〇坊主シリーズ(3作品) 読みながら「ああ、心がカサカサだったのね、私」と気づきます。 購入した漫画を繰り返し読むことが少ないのに この作品だけは、ストーリーを知っているのに繰り返し読んでしまい いつも同じ箇所でぽろぽろと涙が流れ落ちます。 作品で描かれているあらゆる種類の愛情が普遍的で 尊くて、温かくて、心の琴線に触れるのでしょう。 クスッと笑わせながらしっかり泣かせるストーリー。 BL作品という色眼鏡を外して、みんなに読んでほしいですね。 ほんと、心が温かくなりますよ。 さて、骨折して入院したうちの母。 先月、無事に退院して実家に戻ってきました。 しかし、病院でスポイルされた老人特有の認知症が出現し ケアマネさんとヘルパーさんのサポートで生活できている状態。 日本の高齢者医療の意識というのは あらゆる危険を排除して、とにかく生き長らえる方向に持って行くことを 良しとしている感じがして、ちょっと違和感を覚えます。 実際に、母が入院していた病棟の看護師長さんは 自宅に戻すことを拒否していました。 つまり「危ないから施設に入れろ」といういうことです。 ケアマネさんと話し合い、自宅で生活できるサポートを整え 「最悪、私が念書を書く」とまで言って看護師長を納得させました。 医療現場の「生きる」の意味は「息をする」に近いと実感しましたね。 まあ、医療従事者の身を護るってこともあるのでしょうが 高齢の患者は特に、自力で何もしない状況が続くと 刺激がなくなり、認知症が進むのは避けられません。 自力で生きる力を削いでまで息をさせるってことのようです。 そんな反対を押し切って実家に戻った母ですが 病院で進化した認知症のおかげで「嘘つき」「隠し屋」「固執屋」など いろんな個性が強化されています(笑)。 今のところ、歩行器を使わないと歩けないため 一人で外出できないこともあり、お外を徘徊する恐れはないのですが 実家に戻ったことで徐々に一人でできることが増えているため 杖を使って歩けるようになったら徘徊屋と化す可能性があり 施設も視野に入れないといけないな…と思います。 家族とは言え、母の認知症はある意味で他人事ゆえ 「ああ、この部分が強化されたんだ」と冷静に見ていられるのですが 自分だって...